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長崎家庭裁判所 昭和33年(家イ)15号 審判 1959年6月18日

申立人 正木伸子(仮名)

相手方 正木勉(仮名)

主文

相手方は、申立人に対し、慰藉料として金一四、〇〇〇円を左のとおり分割のうえ申立人住所に送金して支払え。

(一)  昭和三四年六月から同年一一月まで毎月末限り金一、〇〇〇円宛

(二)  同年一二月末限り金四、〇〇〇円

(三)  昭和三五年一月から同年四月まで毎月末限り金一、〇〇〇円宛

理由

申立人は、「相手方は申立人に対し慰藉料として相当額の金員を支払うこと」との調停を求め、事件の実情として、「申立人は相手方と昭和二五年婚姻し、長男正男(六歳)と二男峰夫(三歳)の二児をもうけた。相手方は昭和三一年三月の仕事の都合で○○市に行つたので、申立人は一時肩書住所である実母の許に身を寄せていたところ、相手方はその間○○市で他の女性と知り合い前記二児を伴つて同女と名古屋に出奔してしまつた。相手方はその後申立人の生活を全く顧みないし、申立人は足が不自由で思うように仕事にも就けず現在生活扶助をうけて漸く生活している状況であり、相手方の前記仕打ちによつて精神上多大の苦痛を蒙つている。そこで、相手方に対し相当額の慰藉料の支払を求めるために本申立をした」というのである。

当裁判所は本件につき昭和三三年二月一一日第一回の調停委員会を開き、以後四回にわたつて調停を試みたところ、相手方は、仕事や旅費の都合で長崎まで出頭できないといつて、前記調停期日には一度も出頭しなかつた。そこで、当裁判所は、名古屋家庭裁判所に対し、本件紛争の実情、相手方の生活実態、本件申立に対する相手方の履行意思の有無、履行意思ある場合の程度、方法などにつき調査嘱託をなしたところ、名古屋家庭裁判所の当裁判所に対する昭和三三年二月二七日付、同年四月三〇日付、昭和三四年五月二二日付各書類送付書添付の調査報告書の記載並に相手方作成の当裁判所に対する昭和三四年五月四日付上申書と題する書面の記載を綜合すると、次の事実が明かである。

(一)  相手方は昭和三一年九月末に大村市より長男正男(昭和二六年八月○○日生)と二男峰夫(昭和二九年八月○○日生)を伴い名古屋に出奔し○○市の前職場で知り合つた枝村千代と同棲し工員として稼動中で、将来申立人の許に復帰してともに生活する意思はもつていない。

(二)  相手方は、昭和三三年一月当時の月収が日給制で約一五、〇〇〇円程度で、屋外作業を主とするため天候によつて収入が一定せず、家賃、生活費もかさんで生活は苦しい状況にある。

申立人の慰藉料請求については、多額のものを一時金として支払えないので総額一五、〇〇〇円を昭和三三年一月から毎月金一、〇〇〇円宛に分割し、同年末に金四、〇〇〇円を支払つて昭和三三年中に完済するようにつとめたい旨申立てた。

一方、申立人は、相手方の出奔以来肩書の母親の許に寄寓し生活扶助を受けて漸く生活しており、片足が不自由の上身体が虚弱のため就職もできない状況にある。

本調停の過程で申立人は少くとも慰藉料として金五〇、〇〇〇円の一時払を求め、一時払が不能のときは毎月金二、〇〇〇円ないし金三、〇〇〇円程度の分割払を希望したのであるが、相手方は現在の生活が苦しいことを理由に前示のように申立てたのである。申立人も最後には相手方の生活状態を諒として右申立に同意するにいたつた。

しかし、相手方は本件調停期日に出頭せず、裁判所からの右調停のための代理人選任手続の勧めにも応じないため、時日を経過し、相手方より昭和三四年三月一四日内金として金一、〇〇〇円が支払われただけで、調停不調に帰した。

相手方が申立人と婚姻中に申立人方を去つて、他の女性と同棲するにいたつた以上、相手方は申立人に対し、申立人に蒙らせた精神上の苦痛の慰藉のため相当額の金員支払義務あることはいうまでもない。

そして、右慰藉料額については、前記のような双方の生活状況並に本件調停の経過にあらわれた双方の申立など諸般の事情を勘案し双方間に一応の合意に到達した金一五、〇〇〇円より前記相手方支払済の内金一、〇〇〇円を控除した金一四、〇〇〇円を相当とし、その支払方法についても、右諸事情からして、昭和三四年六月以降一一月まで毎月末限り金一、〇〇〇円宛、同年一二月末限り金四、〇〇〇円、昭和三五年一月以降四月まで毎月末限り金一、〇〇〇円宛に分割のうえ、申立人住所に送金して支払わせるのが相当と考えられる。

そこで、家事審判法第二四条により主文のとおり審判する。

(家事審判官 斎藤平伍)

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